ぱるおの独り言

ギャンブル依存症になって回復していく過程をつらつらと。

転落人生~序~

こんにちは

ぱるおです。

 

まずは私の転落人生を振り返ってみようと思います。

気分が悪くなる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身の為に振り返ります。


中学生くらいの時のエピソードですが、テストで98点をとりました。
1問だけ間違えたのですね。

 

周りの友人からは「すごい!」「さすが!」と称賛されました。

しかし、私が考えていたのは…

 

「なぜ1問間違えたのか!これさえ合っていれば100点やったのに!」

…狂ってる。

 

今思えばそう思います。

こういう性格が後のギャンブル依存症に繋がっていくのだと思います。

 

ギャンブルを覚えてからもその性格は変わらず、勝つための努力は怠りません。

パチスロでは毎日データを取り、稼働時間を計算し、設定を推測する。

パチンコでは釘の読み方を勉強し、1000円毎に回転数を数え、期待値を出す。

オカルトは一切信じず、自分のやり方だけを信じていました。

 

時代的に、それだけやれば勝てる時代でした。

特に衝撃的だったのはクランキーコンドルという台でした。

 

「設定1でも勝てる」

 

当然店は設定1以外使わない状態でしたが、トータルでは勝てています。

それだけやっていればの話ですが…

 

当時はBものといわれる不正機種が存在していました。

常考えられないようなはまりと連荘を引き起こす波の粗さにみんなのめり込んでいきます。

 

私もその一人で、はまっている台を狙って連荘だけを取りに行く。

所謂ハイエナという打ち方で立ち回っていました。

 

当時はデータ表示などない時代でしたから、自分でデータを取ります。

的中率5割くらいでした。

ずっと張り付いているわけにはいかないですからね。

 

それでも勝率5割に酔いしれていました。

時代は変わり、AT機時代がやってきました。

 

それはまるでBもののごとくはまりと連荘を繰り返す、合法的に。

設定が関係なくなり、ハイエナさえしていれば勝てる時代がきました。

 

ここでいったん整理しましょう。

じゃあぱるおは勝ちまくって一財産つくってんじゃないの?

 

そんなことはありません。

金はありました。すべて軍資金。いくらあってももっと増やしたい、もっと勝ちたい。

頭の中はそれだけでした。

 

大学の頃の話なので学校にはほとんど行かず、毎日パチ屋に入り浸っていました。

何とか卒業し、就職氷河期と言われた時代なのに何とか就職も決まりました。

 

まだ地獄への階段を下りているとも気付かずに。