ぱるおの独り言

ギャンブル依存症になって回復していく過程をつらつらと。

ごあいさつ

はじめまして

ぱるおと申します。

まずは自己紹介をしていきたいかなぁと思っているのですが、いかがでしょう?

ありがとうございます。

まず私の根本はギャンブルに問題があって日常生活に支障をきたす人間です。

ギャンブル依存症というやつですね。

これはもう間違いないです。

ギャンブルで作った大きな借金のプレッシャーに耐えられなくなり、うつ病を発症しました。

ここからが地獄の始まりです。

おいおい詳しく書いていこうとは思うのですが、世間体では仕事のプレッシャーで発症したということになってます。

その後、さらにパニック障害も併発し、仕事にも行けなくなり、稼ぎがなくなり、借金だけが増えていく。

そんな生活でどうやって生きてきたのかということを記録として残していこうと思いました。

この三つの精神疾患とどう向き合っているか、私の経験を記録したいと思います。

記事の中には苦しかった時の描写も含まれるので、フラッシュバックして気分が悪くなる方もいるかもしれません。

でも私は乗り越えてきました。参考になれば幸いです。

今後ともよろしくお願いします。

ぱるお

自助グループについて

いろんな方が書かれていますが、私も自助グループについて書いてみようと思います。

 

まず、自助グループとは何か。

 

なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者たちが独立しているというのが特徴的である。(ウィキペディア参照)

 

情報を得るには、ポスター・チラシなどがありますが、今の時代、一番手っ取り早いのがネット検索ですね。

たいていの自助グループはホームページを持ってますから、そこにアクセスするのが早道です。

 

しかし、情報が少ない。

 

私が通っているのはギャンブル依存症当事者の自助グループですが、伝統という決めごとがあります。

 

広報活動は宣伝よりも惹きつける魅力によるものである、というのがあります。

積極的に宣伝はしないという事ですね。

 

これには理由があって、基本的には自助グループ内では自分が何者かは名乗る必要が無いんですね。

参加者の素性は分からないし、名前すら名乗らない。

このことで、誰が何をしゃべってもその内容はその場に留めることが出来るのです。

秘密は守られます。

だから安心して恥ずかしい話を吐き出して、自分を楽にすることが出来るんですね。

 

なので、自助グループの中ではこんな話をしてます!とか、こんな人が参加してます!みたいなことは発信できないんです。

どんなところかは、まず参加してみて下さいね、という事です。

 

私が参加しているギャンブル依存症当事者のグループは何をしているのかというと・・・、

 

週に1回決まった時間に集まって、参加者それぞれが言いたいこと辛いこと良かったことなどを話します。

一応テーマがあって、テーマに沿って進められますが、フリーで話しても大丈夫です。

時間の制約はありますが、参加者全員が話しできるように時間配分をしています。

 

これを分かち合いと言います。

 

話すだけで何が変わるのか?と思われるかもしれませんが、誰にも相談できないこと、墓場まで持って行きたいこと、誰に相談したらいいかわからないこと等、自分の中にあるモヤモヤを吐き出すことで、とてもすっきりします。

 

Twitterなどに書き込むというのも一つの手ではあるのですが、自分の声で発することの効果はとても大きいです。

 

ミーティング中は意見を述べたり反論したりはできませんが、ミーティングの前後、主に終わった後のフェローシップという雑談会では相談や意見を求めることもできます。

 

参加者は多種多様で、いろんな経験をしてきた人たちがいますから、他の人の話を聞くだけでもとても参考になったりします。

 

私は自助グループに救われたので、自助グループ推しになっていますが、もちろん合わない人、苦手な人もいると思います。

しかし、依存症にとっての病院は自助グループであり、薬は分かち合いです。

ガンになって病院に行かない人はいないでしょう。依存症も病気ですから自助に行くしかないんですね。

 

行かない理由を付けるのは最初の人よりも、何回か通ってギャンブルが止まっている人の方が多いです。

必要ないと思うんでしょうかね?

 

依存症は治らない病気ですから、行き続けること、繋がり続けることが重要ですね。

楽になる

更新を忘れてましたが、前記事までで取り合えずは一段落です。

 

これからは希望のメッセージ編としましょうか。

難しいな。

 

私もまだまだ回復途中で、回復には終わりはないと思っています。

 

ただただ今日一日の繰り返しで刺激の少ない毎日に慣れていくこと。

 

刺激は一番のトリガーなのでとにかく避ける。

 

感情が揺さぶられたときにどう対処するかを考えておく。

 

私の場合は自分を客観的に見るようにしています。

今怒りの感情がでたなぁ、あの人に苦手な感じをもってるなぁ。とかですね。

 

客観的に見ることで、湧き上がった感情に流されて行かないようになりました。

冷静に自分と向き合えるんですよね。

 

すると不思議なことに穏やかに過ごすことができます。

小さなことで一喜一憂しなくなりました。

 

感情がなくなるのとはまた違うんですけど、随分と楽に生きられます。

 

いろんなことが赦せるようになるんですよね。

たぶん、一番大きいのは自分を赦せるようになることだと思います。

 

これができるとホントに楽になります。

自尊心が下がった時も自分を赦せるから、こんな自分なんて!みたいな感情にならないんです。

 

難しいですけどね。

よし、明日からやろう!ってなっても直ぐにはできないです。

要領掴むまで時間はかかります。

 

でもやろう、ゆっくりやろう!です。

ミーティングの可能性

大きな埋め合わせを終えた私は達成感を覚えていました。

スポンサーシップも順調に進めて、ステップ12まで手渡されました。

 

「今後はスポンシーを見つけてさらに回復を目指しましょう」

 

スポンサーからはいわれたのですが、私には懸念している事がありました。

現在の経済状態では足で会場を回ることが出来ないのです。

 

生活はカツカツ。

ミーティングもホームのミーティングにでるのが精一杯の状態でした。

まずやるべきは就職活動でした。

 

仕事さえ出来れば、安定した収入さえあれば回復の道を進むことが出来る。

お金に囚われています。

でも現実問題、お金がないと何もできないのです。

 

幸い自己破産をしているので借金を増やすことはできません。

しかし、交通費すら捻出できない状況では何もできないのです。

 

そこで考えたのはTwitterSkypeミーティングでした。

 

Twitterは以前からアカウントを持っていたのですが、あまり積極的には活用していませんでした。

ある仲間からSkypeミーティングに誘われたので、これはいい方法だと思い、参加することにしました。

 

週に1回リアルミーティング。

そのほかの日にSkypeミーティング。

順調でした。

 

全てスマホで行っていたのですが、問題が起きました。

ネットサーフィンをしていたところ、魅力的なアプリに出会いました。

詳細は…やめときます(笑)

ファイルをダウンロードできる系の奴です。

 

油断していました。

ネット社会にはいろんな悪さをする輩がいる。

 

思い知りました。

なんと、ウィルスに感染しました。

どのファイルが駄目なのか、ダウンロードのし過ぎでよく解りませんでした。

 

症状はSkypeの呼び出し音が延々と鳴り響くというものでした。

停止することが出来ないのでスマホの電源を切るしかありませんでした。

 

 

対策は……

スマホの初期化。

追加していたアプリをすべて消しました。

 

スマホは初期状態に……

 

動作が軽い!素晴らしい!…( ノД`)シクシク…

 

私の生命線の一つ、Skypeを使う事が出来なくなりました。

 

原因はSkypeではありません。

それは分かっているんです。

ただ、鳴り響く呼び出し音がトラウマとなり、再インストールする気になりませんでした。

 

皆さんもお気をつけて…

埋め合わせ

新たな出発の為にはやらなければならないことがありました。

先延ばしにしていた母親への埋め合わせです。

 

病気が発覚してから母親とは疎遠になっていました。

病気に対しての理解がなく、話をすれば喧嘩になっていました。

 

特に精神疾患に関しての理解を全くしてくれませんでした。

何回も立て替えをしてもらっていたにもかかわらず、私には恨みの感情しかありませんでした。

 

このままでは私の回復に繋がらない。

理解してもらうのは不可能としても、伝えなくてはならないことは他にもあるはず。

 

私は母親に対する気持ちを紙に書きだしました。

恨みよりも申し訳ない気持ち、感謝の気持ちが大きいことがわかりました。

 

でも直接話をすると、素直になれない。

売り言葉に買い言葉となってしまう。

冷静に自分の気持ちを伝えたい。

 

そんな思いで手紙を書くことにしました。

自分の今の現状。

これからのこと。

今の素直な気持ち。

 

冷静に、何度も見直し、相手を傷つけない様に。

返事は無くてもいい。

気持ちが伝わればいい。

住所も知らせていなかったので、自分の住所をしっかりと書いて。

 

ポストに投函しました。

 

手紙だと反応がない場合、埋め合わせできたかどうかわからないので、基本的には直接会うべきだとよく言われてました。

しかし、今回は、冷静に行うこと、自分の考えをまとめること、伝えること、自分側の掃除ということを考えると、手紙が最善のように思いました。

 

 

数日後、母親から返信が届きました

 

短い文章で、

「知らせてくれてありがとう。応援しています」

と書かれていました。

 

私は涙が止まりませんでした。

どんな感情の涙かわかりません。

とにかく涙があふれてきました。

 

母親への埋め合わせと同時に、ステップ9を無事進めることが出来ました。

回復への階段

京都に移り住んだ私の体調はどんどん悪くなっていきました。

短期間で知らない土地に二度も引越させられ、環境の変化に体と精神はついていけませんでした。

段々と仕事を休む日が増え、ついには仕事に行けなくなりました。

 

近隣のGAには参加していたのですが、精神状態も良くなかったので全くなじめず、足が遠のいていきました。

 

強烈な孤独感。

 

気が付くと私はパチ屋の中にいました。

そこには自分と同じ、孤独を抱えた人たちが無心にハンドルを握っている姿がありました。

安堵しました。

私と同じ人たちがいる。

この共感は間違っているのですが、その時はもうどうでもよくなっていました。

 

会社に対しては不信感しかなく、このままでは私は死んでしまう。

楽になるには死ぬしかない。

堕ちていく。

底付きのさらに底がなく、どんどん堕ちていく感覚。

絶望と恐怖。

ボロボロになってました。

 

 

藁にもすがる思いで、以前就労支援事業所でお世話になっていた支援員の方に相談をしました。

「こっちに戻ってきなよ」

その言葉に救われました。

 

別れた家族、特に子供たちの近くに住む。

どうせ会社は辞めるしかないのでそのまま京都に住み続けるよりは関東に戻った方が良いだろう。

なにより関東にはたくさんの仲間がいる。

 

そこからの行動は早かった。

新しい住居をネットで調べ、内見に行き、ついでにミーティングに出て近況を報告。

引越を決めてから約2週間で手続きを完了させ、晴れて関東の地に舞い戻りました。

 

しかし、既にスリップしていた私は元のギャンブルを辞める状態までなかなか戻せません。

引っ越し費用もギャンブルもすべて借金でした。

収入もないので返済することが出来ません。

色んな所に相談した結果、打開案は一つしかありませんでした。

 

自己破産をして生活保護を受ける。

 

生きていくためにはそれしか方法がありませんでした。

 

これでギャンブルを辞められる。

きっかけが欲しかったのかもしれません。

仲間の中にいればギャンブルに行く必要はありません。

生活が出来ればお金を増やす必要もありません。

借金を返すためにギャンブルをする必要もありません。

 

底が見えました。

やっと底にたどり着きました。

後は登るだけ。

回復に向けた階段を作り始めることが出来ました。

 

2018年6月29日。

新たな出発を誓って、通算11個目の赤いキーチェーンを貰いました。

彷徨うぱるお

何故この人は突然そんなことを言い出すのだろう。

でも私には理解出来たことがありました。

彼女は昔からそうなのですが、自分で言い出したことは曲げない人です。

それはよく知っていました。

 

「じゃぁ、離婚しましょう」

 

この発言に至るまでにどれほど彼女が考えを巡らし、思い悩んだのか。

一瞬でしたがすべてを理解しました。

 

「分かった。この家には住んでてもいいよ。僕が出ていくから」

子どもの生活環境を変えたくないのと、九州行きが決まっていたので精いっぱいの譲歩でした。

 

後に分かることですが、この原因は私の配慮の無い一言が全てでした。

彼女はその発言を聞いてから私と暮して行くことが出来ないと判断したようです。

 

どれだけギャンブルで借金を作っても支えてくれ、会社に行けなくても励ましてくれ、お金が無くても何も言わない。

そんな彼女を私の一言が全て壊したのです。

 

発言は一瞬ですが、言われた方は一生残ります。

今後は気を付けたいものです。

 

 

そして単身九州へ。

それまでお世話になっていた関東のGA仲間から盛大に送り出され、関東最後のミーティングは現在のホームとなる会場でした。

 

スポンサーとはlineで連絡が取りあえたので、スポンサーシップもlineで行ってくれることになりました。

 

環境の変化は精神疾患者にはかなり負担になります。

しかも行ったこともない土地で一人暮らしがスタートです。

 

夜は眠れず、日中は強烈な睡魔に襲われ、まともに仕事ができませんでした。

派遣先ではぞんざいな扱いを受けストレスは溜まるばかり。

それでも毎日のようにミーティングがあったので、何とか正気を保っていました。

 

初めていく九州のミーティングは新鮮でした。

近くに施設があったので、団体の固定メンバーがどの会場に行っても参加していました。

ある会場のチェアマンと仲良くなり、フェローをしたり出来たので有意義でした。

 

九州に移って一週間が経ちました。

私の所属している会社から連絡が入り、

「来週から会社に行かなくてもいいです。自宅待機しておいてください」

 

・・・なにごとだ!?

 

その一週間後

「来月から京都の会社に行ってください」

私の九州生活は約2週間で終わりました。

 

抜けた底

この病気の根深さ。

一瞬にして0に戻る。

サイコロ降ってないのにスタートに戻る。

 

パニックになりながらもなんとかスポンサーに連絡。

「大丈夫です。明日からまた始めましょう」

傷は浅かった。

その後はやめることが出来ました。

 

それまでは何回も繰り返す負のループ。

負のループの恐怖が私を踏みとどめさせていました。

しかし、恐怖だけでは止め続けることは不可能でした。

負の感情は負の感情を呼ぶ。

 

回復を楽しみましょう。

自分に与えられた幸せを感じてい生きていきましょう。

 

当時はその意味を全く理解していませんでした。

 

それから3か月後、ステップ9の埋め合わせを行うことになりました。

 

最大の難関は母親への埋め合わせ。

当時は何年も連絡を取っていませんでした。

私は尻込みしていました。

 

とりあえず状況的にすぐに出来る奥さんへの埋め合わせをすることにしました。

とりあえず、やりやすいから。

それは私の傲慢さ。

 

相手への、奥さんに対する配慮を欠いた行動でもありました。

私が回復するためには埋め合わせはしなければならない。

焦り。緊張。そして傲慢さ。

 

奥さんに何を話したか。

全く覚えていません。

 

奥さんからは

「それがあなたの考えなら、分かった。」

「結局自分のことしか考えられないのね」

そう言われたのを覚えています。

 

明らかに埋め合わせは失敗していました。

でも当時は、埋め合わせをした!一つクリアした!

そんな傲慢な考えをしていました。

 

就労移行支援に通ってから半年が過ぎ、予定通り再就職先を決めることが出来ました。

障害者枠での採用。正社員での採用。

全てが上手くいっている!そう思っていました。

そして決まった就業先は、九州でした。

 

家族は残して単身九州へ。

単身赴任と同じか…

深くは考えていませんでした。

 

奥さんから言われたのは

 

「じゃぁ、離婚しましょう」

 

底付きの底が抜けた瞬間でした。