ぱるおの独り言

ギャンブル依存症になって回復していく過程をつらつらと。

彷徨うぱるお

何故この人は突然そんなことを言い出すのだろう。

でも私には理解出来たことがありました。

彼女は昔からそうなのですが、自分で言い出したことは曲げない人です。

それはよく知っていました。

 

「じゃぁ、離婚しましょう」

 

この発言に至るまでにどれほど彼女が考えを巡らし、思い悩んだのか。

一瞬でしたがすべてを理解しました。

 

「分かった。この家には住んでてもいいよ。僕が出ていくから」

子どもの生活環境を変えたくないのと、九州行きが決まっていたので精いっぱいの譲歩でした。

 

後に分かることですが、この原因は私の配慮の無い一言が全てでした。

彼女はその発言を聞いてから私と暮して行くことが出来ないと判断したようです。

 

どれだけギャンブルで借金を作っても支えてくれ、会社に行けなくても励ましてくれ、お金が無くても何も言わない。

そんな彼女を私の一言が全て壊したのです。

 

発言は一瞬ですが、言われた方は一生残ります。

今後は気を付けたいものです。

 

 

そして単身九州へ。

それまでお世話になっていた関東のGA仲間から盛大に送り出され、関東最後のミーティングは現在のホームとなる会場でした。

 

スポンサーとはlineで連絡が取りあえたので、スポンサーシップもlineで行ってくれることになりました。

 

環境の変化は精神疾患者にはかなり負担になります。

しかも行ったこともない土地で一人暮らしがスタートです。

 

夜は眠れず、日中は強烈な睡魔に襲われ、まともに仕事ができませんでした。

派遣先ではぞんざいな扱いを受けストレスは溜まるばかり。

それでも毎日のようにミーティングがあったので、何とか正気を保っていました。

 

初めていく九州のミーティングは新鮮でした。

近くに施設があったので、団体の固定メンバーがどの会場に行っても参加していました。

ある会場のチェアマンと仲良くなり、フェローをしたり出来たので有意義でした。

 

九州に移って一週間が経ちました。

私の所属している会社から連絡が入り、

「来週から会社に行かなくてもいいです。自宅待機しておいてください」

 

・・・なにごとだ!?

 

その一週間後

「来月から京都の会社に行ってください」

私の九州生活は約2週間で終わりました。