ぱるおの独り言

ギャンブル依存症になって回復していく過程をつらつらと。

転落人生~破~

 

仕事はとても順調にいっていました。表向きは。

しかし、もうすでに脳内はパチンコ・パチスロに支配されていました。

 

仕事は定時に終わらせ、家には残業だと言って閉店まで打ち続ける。

そんな生活が続き、チャラになったはずの借金は元に戻っていました。

またしても支払いが出来なくて追い込まれます。

 

自分ではどうしていいかわからず、ひたすらに精神が追い込まれていき、ついにはうつ病を発症してしまいます。

 

仕事には行けない。支払いはしなければいけない。

いくら薬を飲んだところで治るはずがありません。

 

ついに観念してすべてを家族に告白しました。

奥さんにしてみれば寝耳に水。

兎に角借金は少しづつ返していこうと言ってくれました。

 

時すでに遅し。私はうつ病を発症してしまっているので仕事が出来ません。

支払うための金を稼ぐこともできないのです。

 

結局仕事は辞めました。

全く予想していなかったのですが、退職金が出ました。

奥さんは退職金で借金を完済しようと提案してきました。

 

私にとっては願ったりかなったり。

これで人生リセットできる!

すごく気分が楽になりました。

 

現金なものでうつ病の方もみるみるよくなっていき、ついには寛かいまで行きました。

次の仕事も決まり、本当に人生がリセットできた!

本気でそう思っていました。

 

ギャンブルは止めていませんでした。

何回借金をリセットしても、生き方を変えなければ同じことを繰り返します。

螺旋階段はまだまだ続いていました。

転落人生~詠~

私にはお付き合いをしている彼女がいました。

大学卒業後、すぐに彼女と結婚しました。

 

その一年後、勤めていた会社が倒産しました。

世間は不景気の真っただ中。

職安には人があふれかえっていました。

 

私はすぐに就職はしませんでした。

パチンコ・パチスロで生計を立てていました。

 

これがまた非常に苦しくて、まったく楽しくありませんでした。

「もっと楽しんでやりたい」

そんな気持ちで再就職をします。

 

縁があって千葉県へ。

奥さんは身ごもっていました。

 

奥さんは出産のため実家へ。

久しぶりに一人の生活が始まりました。

 

生活費の為に渡された4万円。

自由に使いました。パチスロに。

 

好きな機種を好きなように打って、一日でなくなりました。

この時初めて借金をします。

カードが送られてきても受け取るのは私。家には誰もいません。

踏みとどまれませんでした。

 

子どもが生まれた時、既に借金は100万を超えていました。

打ち方が完全に依存症の打ち方になっていることに、当時はまだ気づけずにいました。

 

奥さんと子どもが帰って来た時から地獄の生活が幕を開けました。

毎月の返済は小遣いの範囲で返せるはずもありません。

自転車操業でしのいでいました。

いつかはスロットで大勝ちして全額返済してやる。

方法はそれ以外に思いつきませんでした。

 

そんな生活は長く続きません。

直ぐに破たんします。

ここで人生で一番の大嘘をついて親から金を引っ張りました。

 

全額返済、チャラにしました。

救われた気がしていました。

 

この金額のうちに、全てを告白し、ギャンブルを辞めていれば…

後の祭りです。そんな簡単にはいかない病気です。

私の依存症は始まったばかりなのです。

転落人生~序~

こんにちは

ぱるおです。

 

まずは私の転落人生を振り返ってみようと思います。

気分が悪くなる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身の為に振り返ります。


中学生くらいの時のエピソードですが、テストで98点をとりました。
1問だけ間違えたのですね。

 

周りの友人からは「すごい!」「さすが!」と称賛されました。

しかし、私が考えていたのは…

 

「なぜ1問間違えたのか!これさえ合っていれば100点やったのに!」

…狂ってる。

 

今思えばそう思います。

こういう性格が後のギャンブル依存症に繋がっていくのだと思います。

 

ギャンブルを覚えてからもその性格は変わらず、勝つための努力は怠りません。

パチスロでは毎日データを取り、稼働時間を計算し、設定を推測する。

パチンコでは釘の読み方を勉強し、1000円毎に回転数を数え、期待値を出す。

オカルトは一切信じず、自分のやり方だけを信じていました。

 

時代的に、それだけやれば勝てる時代でした。

特に衝撃的だったのはクランキーコンドルという台でした。

 

「設定1でも勝てる」

 

当然店は設定1以外使わない状態でしたが、トータルでは勝てています。

それだけやっていればの話ですが…

 

当時はBものといわれる不正機種が存在していました。

常考えられないようなはまりと連荘を引き起こす波の粗さにみんなのめり込んでいきます。

 

私もその一人で、はまっている台を狙って連荘だけを取りに行く。

所謂ハイエナという打ち方で立ち回っていました。

 

当時はデータ表示などない時代でしたから、自分でデータを取ります。

的中率5割くらいでした。

ずっと張り付いているわけにはいかないですからね。

 

それでも勝率5割に酔いしれていました。

時代は変わり、AT機時代がやってきました。

 

それはまるでBもののごとくはまりと連荘を繰り返す、合法的に。

設定が関係なくなり、ハイエナさえしていれば勝てる時代がきました。

 

ここでいったん整理しましょう。

じゃあぱるおは勝ちまくって一財産つくってんじゃないの?

 

そんなことはありません。

金はありました。すべて軍資金。いくらあってももっと増やしたい、もっと勝ちたい。

頭の中はそれだけでした。

 

大学の頃の話なので学校にはほとんど行かず、毎日パチ屋に入り浸っていました。

何とか卒業し、就職氷河期と言われた時代なのに何とか就職も決まりました。

 

まだ地獄への階段を下りているとも気付かずに。

 

ごあいさつ

はじめまして

ぱるおと申します。

まずは自己紹介をしていきたいかなぁと思っているのですが、いかがでしょう?

ありがとうございます。

まず私の根本はギャンブルに問題があって日常生活に支障をきたす人間です。

ギャンブル依存症というやつですね。

これはもう間違いないです。

ギャンブルで作った大きな借金のプレッシャーに耐えられなくなり、うつ病を発症しました。

ここからが地獄の始まりです。

おいおい詳しく書いていこうとは思うのですが、世間体では仕事のプレッシャーで発症したということになってます。

その後、さらにパニック障害も併発し、仕事にも行けなくなり、稼ぎがなくなり、借金だけが増えていく。

そんな生活でどうやって生きてきたのかということを記録として残していこうと思いました。

この三つの精神疾患とどう向き合っているか、私の経験を記録したいと思います。

記事の中には苦しかった時の描写も含まれるので、フラッシュバックして気分が悪くなる方もいるかもしれません。

でも私は乗り越えてきました。参考になれば幸いです。

今後ともよろしくお願いします。

ぱるお