ぱるおの独り言

ギャンブル依存症になって回復していく過程をつらつらと。

回復に向かって

「どちらも病んでるスポンサースポンシー」

 

スポンサーシップはいつもスポンサーの分かち合いから始まりました。

詳しくは書けませんが、当時はスポンサーも家庭状況がかなり悪く、家族の話ばかりしていました。

 

私は私で自分の精神疾患の状態が悪く、仕事に行けたり行けなかったりしていました。

結局仕事は休職を経て退職することになりました。

 

家のローンはある、借金はある、仕事がない。

絶望的な状態でした。

私にとっての大きな試練。

 

スポンサーからは

「乗り越えられない試練は神様は与えてこないらしいよ。」

「ぱるおさんなら何とかして乗り越えられるよ」

とよく言われていました。

 

このままの状態ではだめだと思い、自分なりにいろいろ調べました。

そして就労支援事業所にたどり着きました。

障害者の就労をサポートしてくれる民間の機関です。

幸い障害年金の受給も決まったので向こう一年くらいは暮らしていける目途もつきました。

少しづつ希望の光が見えてきました。

 

就労移行に通う期間は半年と決めていました。

それまでに次の就職先を決めて働くという目標を立てました。

 

スポンサーシップも順調に進めて4、5、6、7、8まで行きました。

ギャンブルを止めて一年半が経っていました。

 

私は色々なことが前に進んでいるので油断していました。

私の中にはまだ謙虚さが足りず、傲慢な自分が居る事に気づいていませんでした。

 

ギャンブルに対する欲求はなく、日々平穏に暮らしている。

私は回復した。

本気で思っていました。

 

ある日、出先でふとトイレに行きたくなり、綺麗なトイレを探していました。

綺麗なトイレを探す。

もうすでにスリップの足音が聞こえてきます。

 

その時の感情は

 

「私はもう回復している。この辺りではパチ屋のトイレが一番綺麗だからトイレを借りに入ってみよう」

 

理由づけ

 

そして何の気なしに近くのパチ屋に入っていきました。

トイレを探しながらちらちらと台を見ています。

「まだこの台あったんや。懐かしいなぁ」

私を地獄に落としたギャンブルに対して懐かしい感情。

危ない!ぱるお!早くその場を立ち去れ!

・・・無事にトイレだけを借りてパチ屋を後にする。

 

そうは問屋が卸しませんでした。

記憶がありません。

 

気が付くとハンドルを握っていました。

アブスティナンスは一年半でストップしました。

回復に近道はない

スポンサーからの最初の提案は

 

「まずは3ヶ月止めてみましょう」

 

…いきなりハードルが高い。

これまで3ヶ月も止めてたことはほぼありませんでした。

でもスポンサーシップを始めるには止めるしかない。

ややこしいな。

 

これまで止めれていないものをいきなりやめることはできませんでした。

途中、何回もスリップし、そのたびにスポンサーに報告。

それでも週1回は必ずスポンサーと対面し、分かち合いをしていました。

 

「では今日からあと3ヶ月頑張りましょう!」

いつもスポンサーは笑顔で言いました。

今思えば、私にもできると完全に信用してくれていたんですね。

 

徐々にギャンブルから離れる生活ができるようになってきました。

そして、ついに3ヶ月をクリアしました。

 

「じゃ、ステップ1から始めましょうか」

 

その時の達成感は筆舌に尽くしがたいものでした。

始まったばかりなのに達成感。

 

そしてステップは1,2,3と順調に進めていきました。

ステップの苦しみはここから始まりました。

 

ギャンブルはやめているのに生活が苦しい。

生き辛さを目の当たりにするのです。

いままでギャンブルをすることである意味誤魔化してきた、

私の負の感情に押しつぶされました。

 

結果、うつ病が再発し、会社に行けなくなりました。

紆余曲折あり、会社は退職することになります。

 

スポンサーの配慮もあり、ステップ4は先延ばしになっていました。

とても棚卸のできる精神状態ではありませんでした。

スポンサーシップを解消することも考えましたが、スポンサーは

「いつまででも待てますから。ゆっくり前に進みましょう」

と言ってくれました。

 

ありがたく、温かく、この人にスポンサーをお願いして良かった。

心の底から思いました。

 

スポンサー自身の家族関係も当時はうまくいってなくて、私の面倒を見てる場合ではなかったのですが、

「同等の立場ですから、一緒に回復を目指しましょう!」

そう言ってくれました。

 

ある時OSMで二人でスピーカーをしたのですが、

「どちらも病んでるスポンサースポンシー」

として話をしました。二人とも病んでましたから(笑)

 

気がつくとギャンブルを止めて1年が経っていました。

運命的な出会い~スポンサーシップ~

どうすればギャンブルが止まるのか…

 

私には全く分かりませんでした。

意志の力ではどうにもならない。

じゃぁ、どうすればいいの?

 

とにかくミーティングには通ってみよう。

それだけでした。

 

ある会場で気になる仲間がいました。

年齢は同い年。家族構成も似ている。

親近感がわきました。

 

彼はちょうどステップが終わりそうな所まで進んでいました。

スポンサーを頼むなら彼がいいかなぁ。

漠然とそんなことを考えていました。

 

それから何週間か過ぎ…

この最悪の状態から抜け出すにはスポンサーシップを始めるしかないのではないか?

私はそんな心理状態で日々過ごしていました。

 

私の住んでいる県内のミーティング会場はすべて回りました。

毎週通える会場、たまにしかいけない会場。

ミーティングの時間だけはギャンブルから離れられる。

スポンサーは足で探す。

 

運命的な出会いはすでに起こっていたのに

 

先ゆく仲間にスポンサーシップをやってみようと思っていることを相談してみると、

「ちょうど私のスポンシーがステップ終わるから、スポンサーにどう?」

と、勧められました。

 

そのスポンシーこそ、私が以前「スポンサーを頼むならこの人かな?」と考えていた仲間でした。

始めるのはこのタイミングしかない!

私はすぐにスポンサーをお願いしました。

 

お願いするときは、愛の告白のようで非常に緊張しました。

その仲間は快く承諾してくれました。

 

この日から二人三脚での苦悩の日が始まっていきました。

第一歩~回復への道~

「GAですか?初めてですか?」

 

時間は10時10分頃。

開始時間から10分も過ぎてる。

でも確実にその人はGAのメンバーでした。

部屋の鍵を持ってたし。

 

私「はぁ。初めてなんですけど、今日はやってないんですかね?」

「これから開けますんで、少々お待ちください」

私(大丈夫なのか?一人しかいないし…)

「おはようございまーす」

その後、続々と人が集まってきて、最終的に12~13人集まりました。

時間前に来ないのが当たり前なのか…

 

そこからハンドブックの読み合わせが始まり、私は驚きました。

ハンドブックには私のこれまでの過去が書かれていましたから。

 

そして分かち合いの時間になり、私はこれまでの経緯をなんとなく話しました。

まだ正直にすべてを話す気にはなれませんでした。

他の人たちは正直にその時の感情や、ついた嘘の話まで赤裸々に話していました。

 

どこの誰だか分からない人達。

だからこそ、何を話しても大丈夫。

その感覚になるまでひと月くらいかかりました。

もちろんその間もギャンブルは止まってませんでした。

 

誰も私のギャンブルを止めてくれない。

止められるのは自分だけ。

止めるためには何が必要か。

とにかくGAに通ってみよう。

他の会場にも行ってみよう。

 

それまで週一だったミーティングに週5で通うようにしました。

他の会場に行くと色んな地域から仲間が集まってきます。

聞いた事の無い名前のグループや地域。

でも今度行ってみようと思えるようになりました。

 

気がつくとギャンブルに行く頻度は激減していました。

まだギャンブルは止まっていません。

GAに初めて行った日から一年が経とうとしていました。

 

ギャンブルに効く薬

 

ギャンブルに効く薬…

 

そんなものあるわけないのだが、奥さんの表情は真剣なものでした。

今思えばそれだけ心配してくれていたのだろうが、当時の私はこいつは何を言ってるんだ?としか思っていませんでした。

 

先生は「効くかどうかわかりませんが、断酒薬をためしてみましょうか。」

私はもともと酒はほとんど飲まないので生活に影響は出ませんが、果たして意味があるのか…

とりあえず一週間処方されました。

もちろん、全く効きません。

一週間後、先生に報告をしました。

 

先生は「こういうものがあるんですが、試してみませんか?」

そう言ってプリントを一枚渡してくれました。

GAのホームページを印刷したものでした。

GAってなんだ?神?献金

やばいとこなんじゃないのか?

でも先生が薦めてるしなぁ。

 

とにかくどうしていいかわからないから行ってみるか。

自宅から一番近くの会場は日曜日の10時開催でした。

くしくもパチンコ屋の開店時間と同じ。

 

奥さんにはGAに行ってくるといってパチンコ屋に並んでいました。

帰ってからどうだったか聞かれると困るので、

「やっぱり行かなかった」

と正直に話しました。

 

そして一か月が過ぎました。

もちろんギャンブルは止まってません。

GAにも行ってません。

 

そしてついに、意を決してGAに行くことにしました

 

緊張の第一回目。

会場の公民館につきました。

部屋を確認してドアを開けようとしました。

 

…開いてない。

 

時間は10時2分。

誰もいませんでした。

せっかく来たのに、まぁ、しょうがない。

少しホッとしている自分がいました。

 

踵を返して帰ろうとしたとき、後ろから声をかけられました。

 

「GAですか?初めてですか?」

疾患と私

病院ではパニック障害に効くということで三環系の抗うつ薬が処方されていました。

 

この頃は外出も辛く、来客も辛く、家に引きこもっている状態でした。

職場からは三か月の休職許可を貰いましたが、無給でした。

 

ある日、近所のコンビニに昼食を買いに行ったのですが、レジに並んでいるだけで具合が悪くなり、逃げるようにコンビニから帰ってきました。

 

半月ほど経つと薬が効いてきたのか、外出は出来るようになりました。

コンビニでもなんとか買い物ができるようになりました。

治ってきた!

実感しました。

 

ここで次に私が向かったのは…

 

パチンコ屋。

 

終わってます。狂ってます。

騒音、煙草の煙、沢山の人。

全てが病状に障るのは明らかです。

案の定、具合が悪くなります。

それでも打つ、打つ、打つ!

速く終わって帰りたい。

こんな時に限って確変10連荘します。

フリーズを引きます。

天国モード確定演出が出ます。

今まで見た事なかったのに・・・。


狂ってはいましたが、具合の悪さには勝てません。

呼び出しボタンを押し、電源を落としてもらいます。

 

情けない。

何が情けないかすら分からない状態でした。

 

そんな姿を見て、奥さんが言いました。

ギャンブル依存症じゃないの?」

 

なんだそれは。

そんなものになるわけがない。

私は愛好家なんだよ。

好きで好きで仕方ないんだ!

 

診察日に珍しく奥さんが付いてきたのでどうしたのかと思いましたが、突然先生に切り出しました。

「ギャンブルに効く薬はありますか?」

転落人生~急~

次の仕事は順調でした。

同僚からも頼りにされ、上司からも頼りにされ、言いたいことを言う。

私の中の傲慢さが最大に発揮されておりました。

 

しかし、出る杭は打たれる。

 

私の傲慢さに満ちた言動、行動は上層部の目に留まります。

いつしか明らかなパワハラを受けるようになりました。

 

パワハラは日々エスカレートしていき、遂には転勤を言い渡されます。

それまでは自宅から自家用車で40分位の通勤でしたが、転勤先は電車で片道2時間。

すでに自宅を購入していたため、引っ越しはできない。

転勤するのか辞めるのか選びなさいといわれ、泣く泣く転勤を選択。

自宅のローンがある為、辞めるという選択肢は選べません。

 

ギャンブルもよりエスカレートしていきます。

ストレス。

それを癒すためにパチンコ屋へ。

負ける。借金が増える。さらにストレスが増える。

負のループ。

 

終わりのない螺旋階段を転がり落ちていき、遂に私の精神は崩壊します。

 

その日は会社の帰りに打ちに行き、早々に大負けを食らって傷心のまま帰路についていました。

奥さんには飲み会があるから遅くなると伝えていたので、時間が余っていました。

 

違和感。

 

体調に何かいつもと違う恐怖の様なものが取り着いている感覚。

駅のホームで電車を待っているとき、勝手に足が線路のほうへ動き出します。

このままだと飛び込んでしまう。

頭ではわかっていましたが足は勝手に歩き出します。

まずい、まずい!

ギリギリのところで後ろから見知らぬ人に引っ張られ、その場に倒れ込みます。

 

気がつくと病院でした。

隣で奥さんが泣いていました。

 

翌日精神科へ受診に行きました。

前日の状況、私は記憶になかったのですが、過呼吸をおこして気を失ったそうです。

 

パニック障害

 

新たな称号を手に入れました。

このままでは死んでしまう。

初めての底つきでした。

 

この感覚、この先何回も何回も味わう事になるのですが、この時はまだ絶望の淵にいると思っていました。